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アレックス・オノルド。 現在、いや過去に遡っても、正に 上、史上最強のクライマー。 バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバルでも毎年その名前を見ていたし、ジミー・チンの撮影した有名すぎるあの写真でも相当に心を鷲掴みされたのを覚えています。

フリークライマー、アレックス・オノルドは、道具を一切用いないフリーソロという方法で、ビッグウォールに対峙する。フリーソロが不可能と思われた壁であっても、すべてのムーブが想像できたならば、アレックスは行動を起こし、実現させる。 この記事でもオノルドで表記します。 さて彼がなぜ有名かというと、命綱なしで行うフリーソロというクライミングのジャンルで名実ともに世界一の存在であるからだ。 アレックスオノルドの略歴. アレックス・オノルド Alex Honnold. アレックス・オノルドはそこにある970メートルの高さを誇るエル・キャピタンの岩肌を登るという生涯の夢を実現するため準備を始める。しかも、ロープなし・道具なしのフリーソロだ。他に類を見ない世界で最も偉大な功績と称されるこの挑戦は、… そんな彼が初来日し、これまた最高のクライマー、平山ユージさんとのトークセッションが開催されるということで参加してきました。現在、いや過去に遡っても、正に🌎上、史上最強のクライマー。「金が、ない!」貧乏男。安く長く楽しく人生を謳歌する手段としてのアウトドアのアレコレ。アシュタンガヨガといい最近、メンタルのコントロールについて考える機会が急に増えてきました。オノルドさんの英語やっぱり速すぎて「まぢ容赦ねぇ!wバンフで見てた通りの感じや!」という感じでした。ユージさんは通訳含め話の間の取り方や表情、身ぶり手振りすべてがすばらしいなぁ~と思いました。人格と佇まいがかっこよかったです。講演の内容も、ほんとに刺激的で感嘆する内容ばかり。本当に参加してよかったです。バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバルでも毎年その名前を見ていたし、ジミー・チンの撮影した有名すぎるあの写真でも相当に心を鷲掴みされたのを覚えています。全編を通して肉体の制御含めメンタルのコントロール力が突出していることから、どのようにしてそのコントロール力をつけたのか?また刺激を受けた本、自分を成長させた本があれば、を質問。「メンタルのコントロールのためにはトレーニングにトレーニングを重ねる。これが大切。このトレーニングのなかで自分の考えている通りに体を動かすことを覚え、自分にできることできないことの線引きを理解するんだ。そして本。読みに読みまくった。そこらじゅうにあるクライミングに関する本からそうでない本まで読みに読みまくった。そのなかで選ぶのは難しいが、この質問に対するアンサーとしては、ROCK WARRIOR’S WAY をおすすめするよ」 以下はフリーソロの類似行為。ごく一部の人しかやっていない。ソロで登るのは大前提。この構図は「困難な状況に直面する」を端的に意味しており、マネが流行った。つまり、オノルディングだ。彼は次にムーンライトバットレスというユタ州にあるザイオン国立公園の有名ルート(360m)に目標を定めた。トップロープでの試登で準備をした後にフリーソロで登り始める。1時間23分というスピード記録を打ち立てた。そしてフリーソロでの初めての成功者となったのであった。彼はそれまでの最高のクライミングだったと振り返るほどの充実感をこの挑戦で感じており、まさにこの時、本格的にフリーソロの魅力にハマったといえる。ムーンライトバットレスのフリーソロはクライミングの歴史やザイオン国立公園にとっての偉業と言えたのだが、目撃した人は誰もいなかった。成功後に友達に電話をかけたのだが、そこから情報が広がりニュースがあっという間にアメリカクライミング界に広まった。ただ、成功した日が4月1日でエイプリルフールのネタじゃないかと思われたりもしたが、数日でアレックスの登攀が本当だと知れたった。日本ではそんなに有名でないのは、フリーソロという行為が日本人クライマーからすると尋常でないと思われているからかもしれない。気狂いクライマーのパフォーマンスと一蹴する人いもいるだろう。クライミングが危険なものと誤解される!と迷惑がる人もいるかもしれない。確かにフリーソロという行為はアメリカでも度々物議をかもし、常に批判されている。普通の人なら恐怖を感じてしまうはずなのに、彼にはそれが無い(実際には怖がるとこの件は否定しているし、通常フリーソロは入念な準備をして挑戦している)ということで精密検査も行われてる。アレックスはフリークライミングから外国へ飛び出しアルパインクライミングや高所登山にも参加している。主な実績としてはパタゴニアのフィッツ・ロイの全山トラバースがあり、第23回ピオレドール賞を受賞し国際的な山岳登攀の分野でも評価されている。映画フリーソロは2017年のエルキャピタンのフリーソロチャレンジを映像化した作品である。監督は彼の友だちでクライマーであり写真家のジミー・チンとその奥さんエリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ 。アレックスとジミー・チンの付き合いは長い。ナショナルジオグラフィックやスポンサーのノースフェース、アルパイン分野などだ。彼の最初の代表作ともいえる Alone On The Wall という映像作品があるのだが、その表紙がこれ。絶壁に背をつけて立つアレックス。クライミング史上に残る一枚と言われる。この岩棚はサンクゴットレッジ(神に感謝を)という名前でハーフドームの上部に位置しており長さ10m、通常のクライマーは膝をつきながら移動するそうであるが、かれは立ったまま移動する。というか余計な装備のないフリーソロでしか立ったまま移動できないのだけど。父の死をきっかけに大学をやめ保険金の利息での生活を始める。車中泊をしながらクライミング三昧。かれは一年のほとんどを車で寝泊まりした。彼はアメリカでは特に有名なクライマーである。おそらく一番有名だろう。世界的にも一番かもしれない。クライマーとしての評価は現時点ではほぼ最高クラスともいえる。理由は簡単で他のどんなどんなクライマーも追従できないからだ。アレックスが登れない高難度のルートがあったとしても、それが彼の評価を低めるものにはならないのは、数々のフリーソロの実績の前には霞んでしまうからだ。 フリーソロでビックウォールを登るなどスポーツの範疇を超えている。次にReelrock7というセンダーフィルムのオムニバス作品にHonnold 3.0 という作品が収められている。 5.13のハイボルダーに挑む様子だ。ボルダリングとは到底思えいない完全にフリーソロじゃんって感じ(これを見てハイボルダーと言われる課題を見ると明らかに低く見える)。トップロープで試登してフリーソロに挑んでいる様子がみれる。それから、ノーズのスピードクライミングの様子も収められているがこれもまたとても面白い。ヨセミテトリプルというワトキンス、エルキャピタン(エルキャップ)、ハーフドームという3か所のビックウォールを連続でデイジーソロで一日で登った偉業も収められている(95%はフリーで登っている)。体力と気力が優れて、なおかつフリーソロという武器がなければ一日でビックウォール三本登るなど不可能である。一度何の成果も得られないどころか、クライミングすらできなかった遠征を思い出して、なんて無駄な事なんだとおもったそうだ。一方で、世界のいろいろな文化などを見て回る旅の素晴らしさも彼は知っていたし、世界には今も貧しい生活をしている人々がいることも知っていた。特にアフリカのチャドという砂漠ばかりが広がるところで旅をしたとき、泥で立てた小屋と数頭の家畜だけで生活する人々を見たことは彼にとってショッキングな光景だった。何日もラクダだけを連れて道もない砂漠を旅する人。まさかこんな世界がまだあったとは・・・。「人々がより良く、シンプルに暮らすための支援」、それがオノルドファンデーションの理念だ。イギリスの非営利団体ソーラーエイドに出資、アメリカの低所得世帯に太陽光発電を支援、昔ながらの暮らしを営むインディアン・ナバホ居留地にも太陽光発電を設置した。日本は東京オリンピックもあってスポーツクライミングはよく話題になるようになったが、冒険的な登山やクライミングはあまり注目されない現状がある。この大きな二つのフリーソロは一般メディアにも取り上げられ、クライミング映像で高い評価を得ているセンダーフィルム社がいち早くコンタクトを取り、さらに作品化したことで世界中でアレックス・オノルドの名前が知れ渡った。 センダーフィルムの映像の影響力は凄い。日本人だと白石阿島、世界的にはクリス・シャーマンやアダム・オンドラなど。少しでも取り上げられるだけでクライミング界では大注目なのだ。特に白石阿島は作品の表紙になって一気に世界で有名になり、その後日本で有名になった。父親の急死5か月後、マウント・タラックにてアイスバーンを100m滑り落ちてヘリで救助されれる。片手の骨が折れ、歯も数本折れ、鼻に穴が開いた、片手の親指も無残な状態だった。この山はアレックス家族で何度も登っていたのだが、冬は初めてだったし、装備が十分でなかった。今現在、彼の一番大きな事故はこれであるのだが、この時の失態を繰り返したくないとアレックスは思っている。フリーソロクライマーだったディーンポッターは極限の状態でもどこに手を置いてどう登るか、「ボイス」が教えてくれると語っている。その「ボイス」の判断は絶対に間違わないらしい。この「ボイス」の正体の一部が、体が知っている、脳が知っているということだとすれば、アレックスが言うオートマティックと酷似している。1985年8月17日生まれ。10歳の時にカリフォルニアのクライミングジムでクライミングを始める。ジョシュア・ツリー国立公園で数えきれないほどのルートを登るうちにフリーソロへの欲求が高まり、2007年9月、ヨセミテのアストロマン(5.11c)とロストラム(5.11c)をフリーソロ。2008年4月、ザイオン国立公園にあるムーンライト・バットレス(5.12b)を1時間23分でフリーソロ。同年9月、ハーフドーム北西壁レギュラールート(5.12a/b)をフリーソロ。2012年5月、トミー・コールドウェルと共にヨセミテ・トリプル(マウント・ワトキンスのサウスフェース、エル・キャピタンのフリーライダー、ハーフドームの北西壁レギュラールート)を21時間15分で継続登攀、さらに6月にソロでヨセミテ・トリプルに挑み18時間55分で完登する。続いてハンス・フローリンと共にノーズのスピード記録に挑戦し2時間23分46秒の最速記録を打ち立てた。2013年にアラスカのマウント・バリル、マウント・ブラッドリー、マウント・ディッキーに向かい、アルパインクライミングでも大きな成果を上げる。2014年1月14日、メキシコの岩場、エル・ポトレロ・チコにあるエル・センデロ・ルミソン(5.12d)を二時間でフリーソロし、「人類が成し遂げたなかで最も困難なフリーソロ」の評価を得る。2014年、トミー・コールドウェルと共にパタゴニアのフィッツ・ロイ山群を縦走する「フィッツ・トラバース」に成功。この登攀で2015年、第23回ピオドール賞を受賞する。自電車で旅しながら途中でクライミングをするという企画もの作品。1ではアレックスと相棒のシダーは22日間で自転車で1000キロ走り4000m級の山全てに一般ルート以外から登頂している。驚くべきことに二人はほとんどフリーソロで登っている。入念な準備もなくルートファインディングをしながら、あちこちでフリーソロをやりまくっている。何気ないシーンも恐ろしい。 フリーソロで登る人を撮るのもフリーソロなので結構スリルがある。 今思えばこの作品はかなりぶっ飛んでいる。そして次の彼女がステイシー・ピアソンだ。彼女がアレックスのFacebookアカウントに友達申請したことが、付き合うきかっかけとなった。しかし、二人のライフスタイルは両極端で食い違うことも多く、しょっちゅう喧嘩をして一時的に別れては再び付き合うを繰り返している。アレックスは彼女との関係に複雑な感情を抱きながら、その感情をフリーソロにぶつけて入念な準備もせずに難ルートを登ったりしているのだが、結局別れてしまう。フリーソロのレベルがどんどん上がっていき、難易度や規模の大きいルートに挑戦するようになってまず挑戦したのが、彼が憧れていたヨセミテの偉人の一人であるピータークロフト1976年に一日に二カ所フリーソロで登ってクライミング界で注目されたヨセミテのロストラムノースフェース(5・11c)と300mの高さがあるアストロマン(5・11c)だった。アレックスは2007年9月19日つまり22歳の時にフリーソロで二つのルートを登った。誰にも告げずふらっと来て登ったのだけど、成功した後に友人ひとりに話すとそれがネットで少しだけ広まったのだった。大した話題にもなりはしなかったが、アレックスは登りたいと思ったルートをフリーソロで登って自信がついたのがこの挑戦だったと語っている。2009年よりスラックライン乗ってます。日本山岳ガイド協会公認ガイド(自然Ⅱ、登山Ⅲ、山岳Ⅰ)、登山用品店店員(元)、平尾台ボランティアガイド、NACS-J自然観察指導員など。アウトドア好きでキャンプ、洞窟、植物好き。これは 実際にそうだった。5.13のルートを登る実力があった にもかかわらず、声をかける勇気が無くて仕方なく彼は5.5や5.7というごく簡単なショートルートをフリーソロで登ったのが始まりだったのだ。ジョシュア・ツリー国立公園ではショートを中心にフリーソロで登りまくり一日で合計ピッチ数にして50ものルートを登ったらしい。2007年、つまり彼が22歳の時に5.12aまでのルートをソロやフリーソロで登っていた。アレックスのよりクライミングがうまい人は沢山いるだろう。それは彼も認めるところだ。しかし、1000m、30ピッチ以上もの壁をフリーソロで登れる人など誰もいない。今現在挑戦しようとしている人もいない。アレックスオノルドが有名となったのはハーフドームのフリーソロがきっかけとなっている。クライミング動画で有名なセンダーフィルム社が声をかけてムーンライトバットレスとハーフドームの再現動画を作ったのが最初である。レッドブルの記事には彼のメンタルについての10の事項が記載されている。この記事もぜひ読んでほしい。アレックスがヨセミテのハーフドームをフリーソロで登った時の装備が以下のリストだ。ロープはもちろん、ハーネスもカラビナも無し、バックパックもない。ハーフドームは標高差600mだか2時間50分(二回目の挑戦では1時間22分)で登っている。ipodは音楽+時計としてだが、のちに音楽の助けを借りて集中するのは邪道だと思い、彼は音楽を聴きなが登るのをやめた。もう最高の人物です。ぜひぜひ応援しましょう。映画フリーソロを見ていひとはぜひ見ましょう。ゴールドウィンのサイトにも彼の情報があります。ファンになった人はぜひ。フリーソロは特別なジャンルであり、挑戦する人は世界的にも数十人もいない。いても特定ルートを単発で登るとかの程度である。ムーンライトバットレスの次の大きなフリーソロがヨセミテのハーフドームだった。準備もそこそこに登り始め、途中でうわさだけで聞いていたバリエーションルートを通って600mの壁を2時間50分で登った。有名なハーフドームだが、これをフリーソロで登ったクライマーはアレックスしかいないし、挑戦しようとしている人さえいない(アレックスは二回目のフリーソロも成功している)。しかし誰が何と言おうと、誰にもまねできないクライミングこそが至高のクライミングといえるのではないだろうか?今現在はクライミングの新規ルートは登りつくされており、ただ登ってだけでは評価されるようなことはほとんどなくなってきている。そのような環境の中でトライする人が極端に少ないフリーソロの分野はアレックスにとっては自分を表現できる最高の舞台だったのである。その極端に少ない分野にいる彼は、クライマーという枠をはみ出し世間一般から見てもかなり特殊な人物と言えるだろう。落ちたら死ぬのになぜ登る?頭がおかしい?そんな疑問もわくかもしれない。フリーソロの映画でも出てくるが、以下の記事で少し紹介されている。自分でも特別だと思うのは、間違いが許されない状況でも自分を保つ能力ことができる能力が身についているこだそうだ。これはぞっとするような高度感のある場所で怖いと思う、しかしだからと言って自分を見失わない。為すべきこと、動くべき動作を冷静に行うことが出来るということだろう。簡単に言えば、「怖いと思うが、足がすくんだりはしない」なのかもしれない。この作品はノンフィクションドキュメンタリーとしては2006年に公開されて話題となった「不都合な真実」をアメリカの興行収入で抜いている作品である。ノンフィクション部門でアカデミー賞をとるなど、数多く受賞している。クライマーなのにベジタリアン?と思うかもしれないが、180㎝で71㎏と理想的なクライマーの体系を維持している。ビックウォールを登るには体重はなるべく軽い方が体力の消耗も少ない。余分な筋肉は邪魔だ。タンパク質はベジタブルプロテイン(大豆)で補っているそうだが、筋肉のために必ず摂取しているわけではなくお腹が膨れるかららしい。パウダーと野菜や果物を入れたスムージーが彼のお気に入りの朝食。量は多くて600~800カロリーだという。ちいなみに、映画フリーソロになったエルキャップに挑戦するまでの5か月間はほぼ完全に野菜と卵だけの食生活だったそうである。少し体重が落ちてより健康的な体になったという。肉体や技術よりも精神面の比重が大変大きいのがフリーソロという分野ということが理解できる。スーパートポというアメリカのクライミングコミュニティサイトがあるのだが、2007年当時のフォーラムを見ると生々しくその偉業が伝わってくる。そのスレッドは今もあるので良ければ見てください。彼を知りたいなら入門編としてはこの映像がお勧めだ。有名なカンファレンスでの公演の模様である。映画フリーソロで登ったエルキャピタンの話がふんだんに出てくる。相当に入念な準備をしてこの登攀にかけていたことが語られている。アレックスはフランス語もしゃべれる。母親が外国語講師で6か国語が使える人物でなぜか家庭ではフランス語しか使わなかったからだ。日本語も多少できたらしい。例えば2020年の東京オリンピックの種目であるスポーツクライミングの分野でフリーソロと呼ばれる行為を行うクライマーはいない。それほど特殊なジャンルであるこを理解しておくべきである。有名なフリーソロクライマーは10名以下。しかも現在進行形で多くのフリーソロで登っている人物となるとほぼいない。現在進行形の数少ないフリーソロクライマーの頂点にいる存在と言える(同じヨセミテで活躍し、有名なフリーソロクライマーでアレックスの友人でもあったディーン・ポッターはベースジャンプで死んでしまった)。母曰く、生まれた日につかまり立ちしたらしい(アレックス・オノルド本人は否定している)。サッファーフェスト(我慢大会)という動画がある。ティザーはyoutubeで見れるが一部有料サイトで本編が配信されている。例えば、あるルートにフリーソロで取り付いて、先行グループをぼろぼろのTシャツと短パンで追い抜いていく。よく見れば彼はひとりでしかもロープ無しじゃないか。追い抜かれたグループは度肝を抜かれ、あれは誰だったんだろう?となるが名前は分らない。彼は無名だし、フリーソロで登ったことをネットに書き込んだりしないからだ(実際に誰にも知られていないフリーソロは沢山ある)。車中泊しながら生活しているから人嫌いというわけでもない。彼と共に登った人のほとんどが、アレックスは気さくで素直と評して仲良くしている。そして今現在?の年下彼女がサンニである。映画フリーソロで出てくる女性だ。彼女はアレックスに教わりながらクライミングを始めたのだが、そそっかしい彼女はアレックスのビレー中にロープの長さを間違ってアレックスにけがを負わせてしまうほど。。。彼女とアレックスの関係も映画のエッセンスとなっている。2では三週間かけて荒野をサイクリングしてデザートタワーでクライミングを行っている。この作品はコミカルな珍道中という感じなのだが、やっている主役が世界一のフリーソロクライマーというミスマッチが面白い。立ちはだかる山を次々と登っていく様は爽快だが今回はロープを使用している。見ている方も少し安心して見られる。フロー状態とは簡単にいえば集中してパフォーマンスが高まった状態なのだが、当然ながらフリーソロはフロー状態であるというえる。アレックスから語られるのはオートマティックという言葉だ。不安なんて感じずに、自動的に体が動いて登っていく。「なんだかぼーっとした感じで登っていた」とも語っている。この先の難しい箇所のことなど考えずに、オートマティックでカラダが進む。想定していた難所もいつの間にか通過している。もちろん、これには準備や自信が必要な訳だけど、やはりオートマティックで進めない箇所が存在する。急に動けなくなり、「こんなところでなにやってるんだ?」という気になる。そういう時は意を決するしかないのだが、オノルドはこれを単なる幸運で切り抜けたと思っている。彼の理想ではそのような難所に対して十分な準備をして、必然的にオートマティックで登るのが理想なのだ。オートマティックで登れるというのは、迷いが無い事でもある。そしてそれをこなした時、フリーソロで登ったと充実感に包まれて満足できるという。フリーソロの難易度の面では最も厳しいのがヨセミテのフェニックス(5.13a、40m)、そしてメキシコのセンデロ・ルミノソEl Sendero Luminoso(輝ける道)だろう。センデロは15ピッチもあり、そのうち5・12a以上が11ピッチもある長大でしかもテクニカルなルートだった。それをフリーソロで登るなどというこうとは到底人間技ではないと驚愕されたアレックスの偉業の一つ。そして、アレックスの中でこれ以上の究極のフリーソロと思えるのがエルキャピタンだけだった。あそこはとにかくデカい。彼がまだほぼ無名時代に撮られた映像作品に凄腕クライマーの一員としてチェコの岩場に遠征した作品がある。同行した有名クライマーの誰もが尻込みしる恐ろしいルート(ロープを使うがボルトが10m間隔しかない)に、グダグダ話ばかりしても進まないと登攀を名乗り出て見事登り切っている。最高にかっこいいシーン。当然ながら、フリーソロなんて気軽に挑戦できるものではない。例えば、アイルランドの海にそびえるノック・ナ・マーラ という海食柱をフリーソロで登ったイアン・ミラーは「正しいメンタルアプローチを身につけるのに10年もかかってしまった。フリーソロで挑む決心がつくまでも長い時間がかかった」と語っている。暇な時間にはよく本を読んでいた。特にクライミングの本は片っ端から。ヨセミテの歴史にも詳しく、憧れのクライマーが何人もいる。アレックスがエルキャピタンに挑戦する2年間を題材としており、彼の人柄や考え方、彼女との関係、ヨセミテの風景、最新鋭機器での奇麗な映像などが見どころとなっている。登攀そのものは再現ではなく実際の映像をもとに作られている。最初の恋人は高校時代のE・Tというあだ名のアイルランド人と日本人のハーフ。二人目の恋人は6歳年上のクライマー、マンディー・フィンガー。しかしアレックス本人が言うには、自分は怖がることについては普通のレベルだという。かれは誰も知られていないフリーソロを何本も登っているが、危険を感じたり気分が乗らずに途中で登るのを止めたことも何度もある(映画フリーソロで引き返したのは初めてとあるが、あれは撮影クルーを率いている大規模な挑戦でという意味)。もし偏桃体が働かない病気なら、引き返すという選択肢をとるはずがない。クライミングのフリーソロは1970年代からごく一部で行われている。エクストリームスポーツとしては最も早く生まれたのが実はフリーソロクライミングなのだ。ファーストアセントというオムニバス作品に  Alone On The Wall が収められているが、これがアレックスを一躍有名にして数多くの賞を取っている。彼の名刺代わりの一作と言える。映像はフリーソロの再現映像となっているのだが(といってももちろんロープ無しで落ちたら死ぬ)、再現と思わせないドキドキが味わえる。沢山のインタビューも収められており、アレックスの人物像が良く理解できる作りだ。クライマーなら必見の映画。これを見らずしてクライミングを語るなかれ!クライミングの歴史はヨセミテの歴史でもあった。アメリカで話題となり評価も高い映画でああったが、危険性や違法行為が明らかにされスポンサーが撤退するなどの騒動を引き起こしたほどである。アレックスのスポンサーでもあったクリフバー(チョコバー製品)がクライマーを一斉解雇したのだ。ちなみに、アレックスは講演などでこの作品を流してから話したりするそうだが、自分で見てもロープ無しの映像は冷や汗が出るそうだ。つまり、彼が怖さを全然感じないという訳ではないという一面が垣間見える。アレックスは懸命に考えて自分にもできることを始めた。それが太陽光発電を僻地に普及させるという試みだ。CO2問題と貧困問題を一緒に解決しようということである。それがオノルドファンデーションだ。5歳の時に目を離したすきにクライミングジムの9メートルまで登った。6歳の時に滑り台を駆け下りて腕を骨折、8歳のころ一本のロープをハンモック代わりにしようとして落ちて腕を二度目の骨折。10歳からクライミングジムに通う。父親にビレイ(確保)してもらいながらコンペなどにも出場。高校では人づきあいが悪く一人でいることが多かったが、アイルランドと日本人のハーフの彼女がいた。高校の成績は優秀でカリフォルニア大学のバークレー校に進学するも大学の授業には興味がなく二学期から通うのをやめて岩場に通う。そのころ両親が離婚して、その二か月後に父親が急死。フリーソロで○○のルートを登るということは、すべての区間をロープ無しで登るということであり。途中の人工物をつかんだり何らかの道具(カラビナ、カム類)で一時的で自己確保をとる行為も行わない。単独で登ることも条件のひとつ。2018年に日本を訪れ平山ユージらと共に御前岩、瑞垣、二子山でクライミングをしている動画。日本の岩場も素晴らしいとほめている。神秘性や開拓、地元の理解などにも話が及び、彼の広い知見で岩場のことが語らている。なかなかの好人物ということが伝わってくる動画。ちなみに話にでてくるトラッドクライミングとはカム類を使いながら登るクライミングのことです。アレックス・オノルドを理解するにはまず初めにフリーソロについて説明が必要だろう。フリーソロ・クライミングはロープ無しの真剣勝負のクライミングのジャンルと言える。もちろん落ちれば命は無い。クライミングというスポーツはロープを使って仲間に安全を確保してもらいながら行うことを前提として発展していったスポーツであるが、フリーソロではそのロープを使わない。アレックスは普段から太陽光発電にはお世話になっている。というのも、車上生活しているバンの屋根に太陽光パネルがありそれで最低限必要な機器に充電しているからである。シンプルな暮らしを守りつつも少しでも快適にしたいという思いにこたえる太陽光発電はアレックスと相性が良いのである。フリーソロクライマーはジョンバッカーとディーンポッター、そしてアレックスオノルドが出てくる。アレックスはヨセミテの最先端を行く新世代の若者として描かれている。アレックス好きはぜひ見てほしい。限界ぎりぎりの難ルートは当然であるが、容易なルートでも落ちれば即死。それがフリーソロ。人は生きていくうえで化石燃料や電機などエネルギーを使う。アレックス本人は車上生活をしているので個人のCO2排出量は少ないと思っていたが、計算してみると飛行機を使ったりしているから大きい部類だと気づきショックを受ける。現在のバンは3代目でフォードのエコノラインである。70代の友人ジョンが改造してくれてとても快適。残念ながら多くのクライマーがフリーソロに挑戦して死亡している。上の画像の他にも例えば90年代を代表するフリーソロの名手であり世界一ともいわれたジョン・バッカーは35年間数多くのルートをフリーソロで登っていたが、自宅近い岩場の何度も登ったショートルートで墜落死している。彼はあらかじめ打たれたボルトに沿って登るスポーツクライミングを邪道と批判し、自分のスタイルであるフリーソロで登り続けて52歳で死んだ。