毘沙門天・多聞天 バク. 大随求菩薩 バン. 吉祥天(きっしょうてん / きちじょうてん、梵: Śrī-mahādevī [シュリー・マハーデーヴィー]、音写:摩訶室利など)は、仏教の守護神である天部の1つ。 もとヒンドゥー教の女神であるラクシュミー( Lakṣmī )が仏教に取り入れられたもの。 功徳天、宝蔵天女ともいう 。 弁財天・妙見菩薩 タラーク. 1975年4月22日に発行された初代1000円切手は吉祥天ファンにとっては本当に「記念」と呼べる切手。その絵柄に選ばれたのが吉祥天立像だからです。モデルとなった吉祥天立像は奈良県にほど近い京都府木津川市の浄瑠璃寺にあります。数ある文化財の中から、この吉祥天が選ばれたのは、厨子に長く保存されていたために、その鮮やかな色彩が残された美しい女性の像だったからでしょう。国宝までをも差し置いて重要文化財のこの吉祥天が選ばれたなんて、さすがのフォトジェニック!ここでなかなかのインパクとのある吉祥天の妹の黒闇天についての追加インフォーメーションを。黒闇天は醜悪な容貌で、人に災難を与える女神です。密教では閻魔王の后だそうです。なんだか、ものすごい吉祥天との対比ですね。中国・唐の貴婦人の姿で優雅な衣装を身にまとい、宝冠をかぶって如意宝珠を左手に持ち、右手は与願印と呼ばれる形をしているという像容が一般的です。吉祥天坐像へ3回願い事を繰り返し唱えると願いが叶う、との言い伝えがあるそうで、多くの女性が子授祈願や安産祈願などでご利益にあやかろうと訪ねてくるそうです。お母さんのように堂々として、しかも二天を引き連れた、頼りがいのある吉祥天です。如意宝珠の如意とは「意のままに」という意味。如意宝珠はどんな願いでも、意のままに叶えるための道具、と言った意味合いを持ちます。与願印は「どんな願いも聞き入れますよ」という意味を持つ仏像の手の形の一つ。宝珠も与願印も吉祥天独自のものではありませんが、女神様の優しそうな性格が伺えますね。両脇の二天は怒りの表情ですが、誇張はあまり感じられません。吉祥天の像内の銘文により鎌倉時代前期の1231年に仏師蓮慶の作だということがわかりました。アイドルのグループにも、センターを誰かに取られて、別のグループに移る、なんてこともありますしね。人気が頼りの稼業、ということなのでしょうか。現在は1000円切手も代替わりして、この吉祥天の切手は高嶺の花となり、入手しにくくなりました。旦那さまの毘沙門天は怒りが誇張して表現されておらず、控えめ。衣の美しさもあってこちらも優美さを感じさせる立像です。右手で宝塔を捧げ、左手で戟を持っています。ちょっと丸顔なところが、幼っぽくさえ見える親しみやすい表情です。夫である同じく国宝の毘沙門天と共に、釈迦三尊像の左右に祀られ、どちらの像も美しい彩色がよく残っています。吉祥天はやはり美人です。左手で宝珠を捧げるところは典型的なポーズ。しかし、右手が何かを言おうとしているかのようで、少し前に出しかけた手が低い位置で止まってしまった感じ。その手指の表情がなんとも優雅です。中尊である吉祥天像は玉眼を持ち、おおきな曲げが印象的。堂々として、厚めの肩まわりが男性的に感じさせる造像です。安定感に富み、衣や袖口が華やかなイメージです。ここでは今回紹介した天部の仏像以外にもより深く仏像について学ぶことができる書籍・DVDをご紹介いたします。ただどれもわかりやすく書かれている初心者~中級者向けの本ですので、お気軽にお読みいただけるかと思います。不空訳の密教経典によると未来には成仏して吉祥吉祥摩尼宝生如来(きちじょうまにほうしょうにょらい)になると説かれています。とてもポテンシャルの高い女神さまなわけですね。奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院として有名ですね。その中の西院伽藍最古の建築である国宝金堂に吉祥天が安置されています。鮮やかな色が残った衣が美しく、円形の台座の上に直立しています。美人の女神さまからご利益に預かりたければ、以下の真言を口にしてみてください。 広目天・増長天 ビー. 吉祥天 ソ・ス. 大日如来(金剛界) ビ. 吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕わす神とされます。密教では美女の代名詞となって信仰されました。五穀豊穣の神としても崇拝されています。幸せを司る神として大きな存在なんです。 不空訳の密教経典によると未来には成仏して吉祥吉祥摩尼宝生如来(きちじょうまにほうしょうにょらい)になると説かれています。とてもポテンシャルの高い女神さまなわけですね。実は、吉祥天には可哀想な一面も。もともと … 薬師如来 ボ・ブ 【梵字読み方】 シリー 【説明】 吉祥天は、もともとはヒンドゥー教の美と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミーが仏教に取り入れられた神仏です。ヒンドゥー教では世界を維持するヴィシュヌ神の妃で、愛と愛欲の神であるカーマの母とされています。 虚空蔵菩薩 ヂリ. 吉祥天とは金運も含む様々な幸運を授けてくれるとされる天部という仏教の神様で、美女としても描かれ美の神様とも言われます。「吉祥」という言葉自体が「幸運・繁栄を意味する語」ですので、その言葉がついた吉祥天は「幸運・繁栄の神様」となりますね。さらに、吉祥天は「功徳天」とも呼ばれます。「功徳」とは神仏のご利益を意味する言葉で、まさに拝むことで功徳を得ることができるという神様です。 持国天 バーンク.
吉祥天と弁財天は経典の中で直接的に関る神様として描かれていませんが、吉祥天は家族のいる神様として経典で描かれています。ちょうど上記の吉祥天女像の姿がこれらの像容にちょうど当てはまっています。七福神信仰でも当初吉祥天だったのが弁財天に変わったとされます。吉祥天は神様としても有名で人気ですが、仏教美術の世界の中でも有名で人気の存在です。素晴らしい名前を持つ吉祥天とは、どんな神様なのか、またどんなご利益があるのか、さらに詳しく解説していきます。奈良時代の作で、美術的にも重要なものですし、宗教的にもとても重要な役割をしているものです。ご真言を唱えるだけで効果があるという人もいますが、唱えるからには正しく信仰をすることをおすすめします。吉祥天は密教の経典では成仏をすると、吉祥摩尼宝生如来(きちじょうまにほうしょうにょらい)という仏教世界で最高位の「如来(=仏様)」になるというとても徳のある神様なのです。奈良時代は朝廷において深く信仰された吉祥天は、平安時代頃に民衆でも広く信仰されるようになります。ここからは吉祥天の由来やこれまでの吉祥天信仰の歴史について簡単にご紹介をします。時に、七福神ではなく八福神と言って吉祥天を除かない場合もあります。それらが原因なのか、吉祥天と弁財天は全く別の神様ですが、同一視されるようになり、最終的には弁財天がその人気を奪う形になります。ここには「くぐり吉祥天女」という下をくぐり抜けると、貧苦を取り除き、富貴財宝のご利益にあずかれるという吉祥天女像があります。ヒンドゥー教で描かれるラクシュミーという神様は、ヒンドゥー教で三大神とされるヴィシュヌ神の妻で、神話の中で描かれる女神の中でも特に美しい神様とされていて、富と豊穣・幸運を司る神様です。人間の子供をさらって食べる姿が見られる、災厄をもたらす鬼でしたが、如来がこの鬼子母神の子を隠して発狂する鬼子母神に、ちなみに、ラクシュミーは「シュリー」とも呼ばれ、偉大なという意味の「マハー」と合わせ、「マハーシュリー」とも呼ばれたそうで、その音訳として、摩訶室利(まかしり)とも表記されます。京都にある吉祥院天満宮の中にある、吉祥天女社では吉祥天が今もご祭神として祀られる神社です。先ほど吉祥天は仏教の神様と書きましたが、日本に入ってきたときは仏教の神様として入ってきますが、さらに古いところまで見ると、吉祥天はインドのヒンドゥー教聖典で描かれる神様でした。吉祥天の母の鬼子母神はインド神話では夜叉という鬼で500人の子供を持つと描かれます。菅原道真公の父が遣唐使として唐に向かう船中、暴風雨にあって転覆しかけ吉祥天に無事を祈ったところ、天女が空から現れて暴風雨が静まり無事に帰郷できた後、天女像を自ら作成してお祭りしたのが吉祥天女社の始まりとされます。吉祥天像は金堂の須弥壇には平安時代に作成された吉祥天像が祀られています。上記で掲載しましたが、京都にある浄瑠璃寺の木造吉祥天立像は鎌倉時代の作で重要文化財にも指定されています。菅原道真公誕生の地ともされ、境内にはたくさんの伝説の残る跡があります。全国で2体しかないとされ、とても珍しい吉祥天像は、特に女性が同じ願いを三回すると叶えてくださると言われています。吉祥天は奈良時代から信仰が始まり、国家行事も行われるほど人気を得ました。開帳日は以下の通りですので、訪れる際は日程に気を付けてください。お遍路さんが訪れる、四国八十八カ所霊場の一つである愛媛県胎蔵院吉祥寺は、御本尊が毘沙門天像です。吉祥天の家族で最も有名な神様としては毘沙門天がいますが、他にも日本で信仰される神様が吉祥天の家族として仏教の世界で説かれています。「吉祥」という言葉自体が「幸運・繁栄を意味する語」ですので、その言葉がついた吉祥天は「幸運・繁栄の神様」となりますね。浄瑠璃寺の吉祥天立像は本堂の九体阿弥陀堂の厨子の中に安置されていますが、常に御開帳され見られるわけではありません。毘沙門天との間には5柱の子がおり、その中でも有名な善膩師童子(ぜんにしどうじ)は御本尊に毘沙門天、脇侍に吉祥天・善膩師童子というセットで祀られることがあります。「500人いる子供の一人がいなくなってそれだけ悲しいのなら、一人の子供しかいない人間はどう思うだろうか」という教えを受け、仏教に帰依して改心した後は安産・子宝の神様として祀られます。吉祥天のご利益は、このインド神話のラクシュミーのご利益をそのまま踏襲していることになります。しかし、黒闇天を福の神として祀る太田神社(東京都文京区の北の神社の摂社)のように福の神として祀るところもあります。「功徳」とは神仏のご利益を意味する言葉で、まさに拝むことで功徳を得ることができるという神様です。吉祥天の妹は、醜い神様として描かれ禍をもたらす神様として描かれます。細部まで服の装飾が施され、彩色もそのまま残っているとても美しい仏像です。吉祥悔過会(きっしょうけかえ/きちじょうけかえ)という、吉祥天を本尊に祀り、金剛明最勝王経(こんこうさいみょうさいしょうおうきょう)というお経を読経するという会が行われていることが文献に見られます。古くから信仰された吉祥天ですので、日本にはたくさんの吉祥天の文化財があります。ご本尊の釈迦三尊像の左右に毘沙門天・吉祥天像が夫婦で配置されています。仏教で神様とは?と思われた方は、仏教の神様を意味する天部という存在についてこちらで詳しく解説していますのでご覧ください。吉祥天像は中国の唐風の貴婦人の姿をした「貴人形(女神として描かれるので、天女形とも言う)」姿をしています。ちなみに吉祥天は信仰の対象である神様としても有名ですが、吉祥天の仏像「吉祥天如像」は日本で最も美しい仏像とも言われます。吉祥天は福徳神として祀られ、あらゆる開運のご利益(現世利益)があるとされ祀られてきました。吉祥天は神社で祀るところもありますが、元は仏教の神様の天部という神様でした。特に財運・金運に関わるご利益に関しての信仰で民間に慕われる神様です。この浄瑠璃寺の吉祥天立像が最も美しい仏像と言われるのは、すでに数百年も経っていながら、厨子(ずし)に入れられたまま保存されたため、当時の彩色がほとんどそのまま残っており、とても色鮮やかです。吉祥天も弁財天もどちらも美しい女神として描かれ、ともに財運・金運を高める神様としてのご利益で祀られています。さらに、全く別の神様である弁財天と同一視されることもある吉祥天について、仏教の世界観ではどんな神様として描かれているのかもご紹介します。薬師寺の吉祥天女画像は国宝指定の吉祥天を麻布に描いたものです。ちなみに、古くは朝廷から「国家安泰」のご利益があるとされ祀られてきました。その仏像の姿は、「大吉祥天女念誦法」や「陀羅尼集経」というお経の中で描かれていて次のような特徴を持つ仏像が一般的です。国宝の吉祥天の画が所蔵されている薬師寺で吉祥天画像を見たいと思っても、こちらも公開日が限られていますので注意が必要です。薬師寺で吉祥天画像が見られるのは、吉祥悔過法要(修正会)が行われている間のみです。吉祥天が日本にもたらされた時は、仏教の中の神様としてもたらされました。当初は国家鎮護のご利益という考えで、朝廷から厚く信仰されました。鬼子母神が出現した場所とされる、現在の清土鬼子母神堂は現在では吉祥天を祀るお堂になっています。四天王や毘沙門天(多聞天)について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。山梨にある福光園寺では、全国でも珍しい吉祥天坐像という、吉祥天が座っている仏像があります。上記で解説をした、国家行事である、吉祥悔過会にてこの絵のような吉祥天像を祀り国家の繁栄や五穀豊穣を願ったとされます。吉祥天像の多くは右手が下に向いて正面を向いている、「与願印」というものをしています。