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インフィナイトの新馬データです。父馬の種牡馬成績、母馬の牝系といった血統情報、馬主や調教師の近年の成績、一口馬主ユーザーからの評価など、pogやクラブ募集馬の出資に検討に役立つデータが満載 … インフィオラーレは、一口価格50万円、サンデーサラブレッドクラブ所属のクラブ馬。一口馬主の出資データを中心に、関連Webニュースなどの最新情報まとめ。各クラブへの無料カタログ請求も。 馬名は“County Palatine(王権伯領。王国から貴族に特殊な権限が与えられた自治権領)”に由来しており、本馬の生産者ウォーカー大佐が幼少期を過ごしたのが、ランカスター王権伯領の近郊だったためである。ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)が運行していたLNERクラスA1/A3蒸気機関車の60052号には本馬の名前が付けられている。そんなウォーカー大佐は、1908年に誕生した本馬を、自身がそれまでに生産した馬の中で最も素晴らしいと考えた。そのため、1909年にウォーカー大佐が本馬と同世代の1歳馬をことごとく売却した(その理由は、占星術に凝っていたウォーカー大佐が、それらの馬の誕生日が悪いと判断したためらしい)際にも、本馬のみは自身の所有馬のままにしておくつもりだった。ところが、ウォーカー大佐から1歳馬の売却を任された代理人が、売却馬の中に本馬も含めてしまい、本馬はトマス・ピルキントン卿に2千ギニーで買われてしまった。ウォーカー大佐は売買を無かった事にしたいと考えたが、スポーツマンシップに悖ると判断して結局は諦めた。5歳時も現役を続け、再度コロネーションC(T12F29Y)から始動した。この年から主戦を務めることになったW・サクスビー騎手を鞍上に単勝オッズ1.83倍の1番人気に支持されると、2着となったケンブリッジシャーH・リンカンシャーH・ニューベリーサマーC・セレクトSの勝ち馬ロングセット(この年のドンカスターC勝ち馬)を3馬身差の2着に破って快勝し、前年の雪辱を果たした。3歳時は、元々英2000ギニーには登録が無かったため、英ダービーを目標とするはずだった。しかし調整が上手くいかず、結局英ダービーは回避する事になった。復帰戦はアスコット競馬場で行われたバイエニアルSとなったが2着。ニューマーケット競馬場で出走した次走のミッドサマーSも2着に敗れた。しかしグッドウッド競馬場で出走したゴードンS(T12F)では、アスコットダービーで2着してきたフィリクサスを3馬身差の2着に破って勝利。フレアがガリニュールとの間に産んだ息子ガロンは故障のため競走馬としては不出走だったが、血統が評価されて日本に種牡馬として輸入された。そして帝室御賞典の勝ち馬を21頭も輩出し(23頭を出したイボアに次ぐ史上2位)、黎明期の日本競馬に絶大な影響力を有した。直系はとうの昔に途絶えたが、牝系にガロンの血を引く活躍馬は現在も日本競馬界にごろごろしている。その後に脚部不安が悪化したため、5歳時3戦2勝の成績で競走馬引退となった。続いて本馬はエクリプスS(T10F)に出走。ここには、ハードウィックSを勝ってきたステッドファスト、チェスターヴァーズを勝ってきた前年の英セントレジャー2着馬リカオンに加えて、英1000ギニーと英ダービーを勝ってきた3歳牝馬タガリーも参戦してきた。しかしレースでは本馬が2着ステッドファストに短頭差、3着リカオンにはさらに6馬身差をつけて勝利した。見せ場無く敗れたタガリーはそのまま現役を引退した。母レディライトフットは、ファーンヒルSなどを勝ち、繁殖牝馬としても成功したグレアの娘であり、ウォーカー大佐はかなり期待していたらしいが、下級競走で6勝を挙げた程度で、現役時代後半には障害競走を走るなど、競走馬としてはウォーカー大佐の期待に応えられなかった。しかしレディライトフットは繁殖牝馬としては活躍し、本馬の半弟キャリックファーガス(父カウントショーンバーグ)【セントジェームズパレスS】も産んでいる。ヒューイットがどうなろうと筆者の知ったことではないが、気になるのはトラセリーとウォーリー騎手のほうである。しかし幸いにもウォーリー騎手は無傷で、トラセリーも軽症で済んでいた。そしてトラセリーはその後に何事も無かったかのようにこの年のエクリプスS・英チャンピオンSに勝利(いずれもウォーリー騎手騎乗による)する活躍を見せている。これによりトラセリーは当時世界最高の名馬の称号をも獲得しているから、何事も無ければこのアスコット金杯は本馬とトラセリーのいずれが勝ったかは分からない。英セントレジャー・エクリプスS・アスコット金杯2回などを勝った名長距離馬は不遇な晩年の中から後世に血を残すレースでは2番人気のトラセリーが先行し、単勝オッズ3倍の1番人気だった本馬はそれから20馬身も離された後方を追走していた。ところが、ケンブリッジ大学の学生だったハロルド・ジェームス・ヒューイットという若い男が女性参政権運動の旗を持って突然コース内に乱入し、先頭を走っていたトラセリーの前に回転式拳銃を持って立ち塞がり、レースを止めるように要求。しかし走っている馬がそう簡単に止まれるわけはなく、トラセリーはヒューイットにぶつかってしまった。トラセリー鞍上のアルバート・ウォーリー騎手は落馬して、トラセリーはここで競走を中止。一方の本馬は鞍上のサクスビー騎手の手綱捌きで混乱を避けると、そのまま2着ステッドファストに10馬身差、3着アレッポにはさらに4馬身差をつけて先頭でゴールインして2連覇を達成した。ピルキントン卿の所有馬としてヘンリー・ビアズリー調教師に預けられた本馬だったが、父パーシモンと異なり、仕上がりは非常に遅かった。しかも重度の脚部不安を抱えており、現役時代を通じてそれに悩まされた。こうして調子を上げ、秋の英セントレジャー(T14F132Y)には間に合った。主戦のフランク・オニール騎手が騎乗した本馬は単勝オッズ4.33倍の評価を受けた。そしてここで圧巻の走りを見せ、馬なりのまま走り、英2000ギニー3着馬リカオンを6馬身差の2着に、アスコットダービーを勝ってきたキングウィリアムをさらに3馬身差の3着に破って圧勝した。続いてドンカスターC(T18F)に出走。対戦相手は特に実績が無い5歳牝馬アダリスの1頭のみであり、本馬が単勝オッズ1.05倍という圧倒的な1番人気に支持された。レースでは馬なりのまま走り、10馬身差で圧勝した。続いて2連覇を目指してアスコット金杯(T20F)に参戦。このレースには、前年の英チャンピオンSを勝っていた宿敵ステッドファスト、アレッポの他に、本馬より1歳年下のトラセリーという実力馬も参戦していた。米国の馬産家オーガスト・ベルモント・ジュニア氏により生産・所有された米国産馬であるトラセリーは、1908年にニューヨーク州において制定された悪名高きハート・アグニュー法(通称:反賭博法)のせいでニューヨーク州の競馬が中断した影響のため、英国で競走馬となっていた。そして人気薄の英ダービーでタガリーの3着して名を馳せ、さらにセントジェームズパレスS・サセックスS・英セントレジャーを立て続けに勝利して、同世代最強馬の地位に君臨するに至っていた。次走のアスコット金杯(T20F)には、ステッドファストは不参加だったが、ヴェルメイユ賞・ロワイヨモン賞・フィユドレール賞・ドーヴィル大賞・グラディアトゥール賞・コンセイユミュニシパル賞・フォルス賞などを勝っていた仏国の名牝バースポワーントが相手となった。しかし単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された本馬がバースポワーントを5馬身差の2着に下して、4分22秒6のコースレコードを樹立して圧勝した。続いてジョッキークラブC(T18F)に出走した。対戦相手は、この段階では特に実績が無かった3歳牡馬アレッポの1頭のみだった。ところが本馬はアレッポに6馬身差をつけられて敗れてしまった。実はアレッポは翌年のジョッキークラブCも勝ち、そのまた翌年にはアスコット金杯に勝利するほどの長距離得意の馬であり、このレースでその素質がようやく開花したのだった。あと、このレースで本馬に騎乗したのが主戦のオニール騎手ではなく、好敵手ステッドファストの主戦だったF・ウットン騎手だったのも影響していたのかもしれない(乗り代わりの理由は不明)。4歳時の成績は7戦4勝だった。競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績21戦11勝2着6回3着1回その後はプリンセスオブウェールズS(T12F)に出走したが、単勝オッズ21倍の伏兵だったランスチェスト(翌年の同競走も勝っている)の1馬身半差2着に敗れた。しかし斤量はランスチェストの120ポンドに対して、本馬は144ポンドだったから、実力負けでない事は明らかだった。当時の英国では女性に投票権が無く(英国で女性に投票権が認められたのは1928年)、競馬場も含めた各所で一部の女性参政権運動家による度を越した抗議運動(放火など)が発生していた。このアスコット金杯の16日前に行われた英ダービーでは、エミリー・デヴィッドソンという女性参政権運動家がレース中に乱入するという有名な事件が起こっている。馬の下敷きとなったデヴィッドソンは重傷を負い数日後に死亡。この英ダービーは大混乱となり、先頭で入線したクラガヌールは失格となり、単勝オッズ101倍のアボワユールが繰り上がり優勝するという大波乱となった。これらの度を越した抗議運動はあくまで一部過激派によるもので、多くの女性参政権運動家はこれらの行動を支持していなかった事は付記しておく。ただ、このアスコット金杯に乱入したヒューイットは男性であり、この行動が女性の参政権を求めたものであるとは考えにくい。デヴィッドソンの伝記には、この事件は単なる模倣犯であると書かれており、どうも大々的に行われたデヴィッドソンの葬儀の様子を見て触発されたヒューイットが、自分も目立とうとして引き起こした愚行であったらしい。ヒューイットは重傷を負ったが、病院に担ぎ込まれた後に回復し、彼は単に痛い目に逢っただけで、まったく注目される事はなかった。いつの世にもこういう馬鹿な人間はいるものである。翌4歳時はコロネーションC(T12F29Y)から始動した。ここではジョッキークラブCなどを勝ってきたステッドファストと2度目の対戦となり、今回もステッドファストの1馬身差2着に敗れた。2歳時は6戦して、首差で辛勝したインペリアルプロデュースプレート(T6F)など3勝を挙げた。しかし、デューハーストプレート(T7F)では、同着で勝利したキングウィリアムとフィリクサスの5着に敗れている。話がかなり逸れたが、ともあれアスコット金杯を連覇した本馬は、南アフリカのダイヤモンド王ジョエル兄弟の兄ジャック・バーナード・ジョエル氏の注目を受けた。ジョエル氏により4万5千ポンドという当時の英国史上最高価格で購入された本馬は、引退後にジョエル氏の元で種牡馬入りする事が決定した。本馬はその後も現役を続けたが、何故かジョエル氏の所有馬となった後の本馬は、別馬のように振るわなくなっていた(理由はおそらく脚部不安の悪化)。グッドウッドC(T21F)では、前年のプリンスオブウェールズSの勝ち馬キャットミント、アレッポ、プリンセスオブウェールズSを2連覇してきたランスチェストなどに屈して着外に敗れ、3歳以降では初めて着外になった。次走はニューベリー競馬場で行われたキングスクレアSとなった。このレースにはステッドファストという強敵も出走していた。ステッドファストは、英2000ギニー・英ダービーこそいずれもサンスターの2着に敗れたが、その後にプリンスオブウェールズS・セントジェームズパレスS・サセックスSなど7連勝していた。直線では本馬とステッドファストの2頭の一騎打ちとなったが、ステッドファストが勝利を収め、本馬は半馬身差の2着に敗れた。しかし斤量はステッドファストより本馬のほうが7ポンド重かったから、実力負けでは無かった。3歳時の成績は5戦2勝だった。次走のジョッキークラブS(T14F)では、ステッドファストとの戦いとなった。斤量は本馬が147ポンド、ステッドファストが134ポンドであり、その差は13ポンドもあった。しかしそれでも本馬がステッドファストを半馬身差の2着に破って勝利した。 落ち着いた深い緑色のインフィナイトは、一見地味ですが、世界のヒーラーやスピリチュアリストにはファンが多く、悪いものを跳ね返して良いものを惹きつける力があると言われいています。そんなインフィナイトの意味・効果・浄化方法・見分け方をご紹介いたします。 インフィナイトの血統表の競走馬データです。競走成績、血統情報、産駒情報などをはじめ、50万頭以上の競走馬・騎手・調教師・馬主・生産者・レースの全データがご覧いただけます。