毎週、スペシャルなパーソナリティが週替わりで担当している土曜日の「オールナイトニッポン0(zero)」。 7月25日(土)は『四千頭身のオールナイトニッポン0』が1年4か月ぶりに、一夜限りの復活! 一時はゴールデンのバラエティ番組のひな壇に収まっていた彼が、今では事もなげに「自分がテレビに出る必要はないと思っている」と語る。芸人としては異色とも言えるそんな考えに辿り着いたのは、若手時代に感じていた苦悩と、ある芸人仲間の言葉がきっかけだった。彼はこれまで芸人兼構成作家という異色のキャリアを歩み、芸能界で地道に結果を残しつづけてきた。オードリーのふたりをはじめ、南海キャンディーズ山里亮太、さらにテレビの裏側を支えるディレクターや放送作家まで、彼に絶大な信頼を寄せる関係者は多い。「自分がヒーローにならなくてもいい」と言うサトミツ独自の仕事論とこれまでの歩みから、謎に包まれた人物像を紐解いていく1万字のロングインタビュー。まったく結果が残せないまま収録を終えて帰路につく日々に悩んでいたサトミツはある日、マネージャーに「あんまりテレビに出たくないんです」と打ち明けた。サトミツこと佐藤満春、42歳。お笑い芸人兼構成作家という二足のわらじを履いて、芸能界で20年のキャリアを重ねてきた。バラエティ番組での立ち回りや芸人としてのスキル不足に悩んでいた当時、彼の中である言葉が引っかかっていた。どきどきキャンプ佐藤満春、通称「サトミツ」。『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でたびたび名前が挙がり、アイドルバラエティ『日向坂で会いましょう』(テレビ東京)では号泣事件が話題を呼ぶなど、コアなお笑いファンやアイドルファンの間で注目を集めている。サトミツはそんなふうに謙遜して、穏やかに笑った。黒縁メガネにセンター分けという風貌は“お笑い芸人”というよりも、堅実に出世街道を歩んできたビジネスマンのようにも見える。芸人仲間であり親友でもある若林の言葉が胸に残った彼は、その後いくつかのバラエティ番組で、自身の趣味であるトイレの研究や掃除の豆知識を披露した。すると「淡々としゃべっているのがおもしろい」と少しずつトークが周囲から評価されるようになった。自分の好きなことについてとことん調べ、その魅力を視聴者に伝える。いつしかそのスタイルは、彼の仕事のベースになっていった。現在、テレビでは『有吉ゼミ』や『news every.』(共に日本テレビ)でのお掃除ロケ、ラジオパーソナリティーとしては『佐藤満春のジャマしないラジオ』(InterFM)、『佐藤満春in休憩室』(ラジオ日本)のレギュラー番組が2本。さらに構成作家として『スッキリ』『ヒルナンデス!』(共に日本テレビ)、『オードリーのオールナイトニッポン』、『ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!』(Eテレ)など数多くの番組に携わっている。決して派手なキャリアを歩んできたわけではないが、作家として、芸人として、さまざまなジャンルの現場で地道に結果を残してきた。サトミツ自身としては、番組から求められていることを自分なりに咀嚼して、映画の感想を口にしただけのことだった。しかし、周囲からの反応は少し違った。中学生のころに聴いていた『伊集院光のOh!デカナイト』(ニッポン放送)の影響で芸人を志したサトミツが「どきどきキャンプ」を結成したのは2001年。当初はインディーズで単独ライブや路上ライブを重ね、2005年に現在の事務所であるケイダッシュステージに所属した。そこから下積みを経て、2008年『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)で、相方の岸学がジャック・バウアーに扮した『24-TWENTY FOUR-』のネタでブレイクを果たす。さまざまなネタ番組やバラエティ番組に呼ばれるようになり、「やっとバイトを辞めることができた」とサトミツは当時を懐かしむように語る。ただ、そんな挫折の日々のなかでも「おもしろいことがしたい」という思いは消えることがなかった。 どきどきキャンプ佐藤満春こと「サトミツ」をひも解く1万字のロングインタビュー。『オードリーのオールナイトニッポン』でたびたび名前が挙がり、『日向坂で会いましょう』では号泣事件が話題を呼び、オードリーや南海キャンディーズ山里亮太など信頼を寄せる関係者も多い。 『akb48のオールナイトニッポン』(エーケービーフォーティエイトのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送をキーステーションにnrn系列全国36局ネット(中京広域圏のcbcラジオなど、一部はjrn系列局にて)で放送されていた深夜放送 ラジオ番組である。
構成作家としても活躍し、同局では『オードリーのオールナイトニッポン(ann)』(毎週土曜 深1:00)でもおなじみの“サトミツ”が、深夜にリスナーの話を延々と聞き続けるという異色の特番。